圧縮手法としての言葉

あれを、美しいと呼ぶことを知った。それだけで解放された気持ちだ。美しいと言葉に置き換えることでいつでも取り出すことができるようになる。
美しい箱はいつも身体の中にあり、僕はその蓋を開ければいい。

宮下奈都 「羊と鋼の森」より

出現頻度の高いデータほど短い符号を割り当てる、というのがzipやjpegのデータ圧縮に使われるハフマン符号の原理だが、この原理は自然言語の世界でも文字通り「自然に」使われている。
「美しい」が多くの言語の語彙に普通にあるのは、人間がしばしば出くわす本能的な感覚に基づいた経験だからなのだろう。
但し何がどれだけ頻繁に出てくるかは文化によって異なるため、あるものをどれだけ細かく区分して違う名前をつけるかは「文化依存マター」となる。
例えば日本で育った人間であれば「米」と「ごはん」、「水」と「お湯」は明確に区別するが、英語では米もごはんもrice、水もお湯もwaterと一緒くたにされてしまう。

異文化に入ってみると、しばしばこの違いに気づく。
自分ははっきり区別しているものを十把一絡げにされる、また逆に自分はいずれも差がないものとして扱っていたものが細かく区分されている、という事態に直面し違和感を感じる事がある。
これは異文化に入りこんだエイリアンにはピンとくるのだが、同じカルチャーの中で多数派としてずっと暮らしていると感じる機会がない。

もしあなたが何か新たな事に取り組んでいてこの様な違和感を感じる事があれば、その感覚を大事にして欲しい。
それはあなたがいま異文化とコンタクトしている証である。

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