「ヒトは『いじめ』をやめられない」を読んで

陰惨ないじめのニュースが出ると、その都度「あってはならないこと」だという趣旨の識者コメントや、多くの人の声が寄せられる。ただもし、本当に世の中の大多数の人がそのように考えており、いじめに加担する側の人間では断じてないのだとしたら、何故今もっていじめがなくならないのだろう?この疑問に真摯に答えようとしたのが本書だと思う。

「あってはならないこと」という言葉の裏には、人が十分に注意を払えば予防できる事、というニュアンスが隠れている。今年、日本は幾度となく大型台風に襲われ、被災された方には本当にお気の毒なのだが、台風が日本に来ることは「あって欲しくないこと」ではあるが「あってはならないこと」とは言われない。ただ台風による大雨・洪水被害を防ぎきれず死傷者を出してしまうのは「あってはならないこと」である。

いじめの話をする場合、いじめが起きること(=台風が来ること)と、いじめによって被害者が深く傷つけられること(=洪水被害を拡大させてしまうこと)との区別をせずに議論されることが多いのではなかろうか。自然災害と人の行為であるいじめを一緒にするな、という反論はもちろんあるだろうが、本書の神髄と言える「発生をゼロには出来ないという前提で考える」という点において、両者は共通なのである。

「ヒトは『いじめ』をやめられない」というタイトルは、一見刺激が強く、今まさにいじめに苦しんでいる子ども達を絶望的な気持ちにさせてしまうリスクがあるかもしれない。
ただ「集団ではややもすればいじめは起こりがちなのだ」という前提に立ち、ではどうすれば例えゼロには出来ずとも発生を減らせるのか?仮に発生した場合はどうすれば被害を食い止められるのか?ということを、学校現場だけに押し付けるのではなく、周囲の大人たちが真摯に議論しあう環境がそこここの身近にあれば、その場で直接の答を導きだせずとも結果としていじめが減っていく社会になるように思うのである。

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