新しい日常part2

相変わらずコロナウイルスのニュースが途切れない日々が続いている。
外出するとほぼ100%の人がマスク着用している反面、私が利用する大阪の朝夕の通勤電車では
2mはおろか1mのソーシャルディスタンスも確保出来ていない。
またじわじわと日々の感染者数が増える一方、経済との両立を唱える声が強まっている。
一時懸念されていた医療崩壊を防いだとの判断で「新しい日常」が始まったが、なぜ日本では
「第一波」での最悪の事態を免れたのか、未だはっきりした原因がわかっていない。
「運が良かっただけ」との海外からの批判も、「民度が高かったから」との発言も科学的根拠
がないという点で同類である。きちんとした分析がまだなされていない今、恐れる人、無頓着
な人、巷の現状認識に対する差は大きい。

命や日常生活が脅かされうる危機にあって、人々はどのような行動に走り、政治家は何を言い、
学者はどの様な態度を取り、マスコミは何を伝えがちなのか?
スペイン風邪、第一次/第二次世界大戦はじめ、過去の惨禍から我々は何を学び、
今どう活かしているだろうか?

いずれこのコロナ禍が去り、生き残った者の記憶に残るのが「クラスター」だの「ソーシャル
ディスタンス」だの、流行語大賞のようなキーワードだけだとすれば、理不尽にもこの感染症
に命を奪われた方々に対し、あまりに申し訳が立たないと思うのである。

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