平成の得失

徳島そごうが8月で閉店し、徳島はデパート無し県になった。
大阪在住の私は平成元年に結婚して以来、毎年少なくとも盆暮れは徳島の妻の実家まで車で往復していたので、平成年間の大阪ー徳島の道中の様変わりを見てきた事になる。
一番大きな変化は明石大橋が懸かり大阪から妻の実家まで高速道路で繋がった事である。今ではノンストップなら3時間余りの行程が、1990年は半日がかりだった。
明石と淡路島を結ぶフェリーは30分間隔ほどで頻発していたが、盆、暮れ、GWの混雑時は2〜3時間待ちは普通だった。ある年のGWには10時間待ちに出くわし、急遽近くの民宿に泊まった事もあった。

それでも私は、フェリーで淡路に渡り、徳島そごうに寄って土産を買い、最後に広々とした吉野川沿いの一般道をいく、かつての帰省が決して嫌いでは無かった。
私にとって、フェリーの甲板や、時折立寄るそごう脇の花屋は、行脚の道中で一服する「峠の茶屋」だった。
平成のインフラ整備は、手っ取り早く片付けたい用事も、ほっとするひと時も区別することなく節減した。

明石大橋の開通以来、高速バスで大阪・神戸に気軽に買い物に出掛けられるようになった徳島の人々には、地元デパートで買い物する理由が薄れてしまったのだと言う。
ただ閉店が決まった後、遠出が憚られる「新しい日常」がやって来たのはなんとも皮肉である。

たまに訪れるだけで採算に寄与しないよそ者の勝手なエゴかもしれないが、
その土地土地それぞれの「茶屋」はずっと残っていて欲しいと思う。

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